どうも、サバイバル夫婦の嫁ルイです。
充電切れしそうなiphoneをやっとカフェベローチェの電源に繋ぎホッとしたところであります。
しかし、持ってきたケーブルが短すぎたのでめちゃめちゃ打ちにくいんだな。ものすごい前かがみで入力してるので首が痛くてたまらない。こうしてストレートネックがどんどん助長されるんだ。長いケーブルをなぜ持ってこなかったのかと悔やまれるばかり。ケーブルは長いに越したことはないね。
さて、そんな私は、完全に充電切れを起こしている。
なんのこっちゃという感じだけど、今、どうしようもなく自由だ。
自由過ぎてもはや迷子になっている。
自由ってこんなにも心許ないものなのだろうか。なんでもできるが、なにをしたらベストなのかがはっきりわからないまま、ふらふらと彷徨っている。
そしたら、偶然にもなんで人生に迷ってしまうのか、その答えがあっさりわかった。なので忘れないために今日はそれについて書いておこうと思う。
人は人に決められたい生き物なのかな
私は今、誰にも指図されない生活を送ってる。仕事する日も時間も自分の都合で決めている。
もちろん仕事するにも相手がいることなので相手の都合にも合わせるが、基本、こちらのスケジュールの範囲内で仕事をする。
仕事がなさ過ぎて困った時は、別のことをやって何とか日銭稼ぎをしてるが、これもやりたいことしかやらない。
あまりにもお金がなくて今月乗り切れない時は、単発の日雇いバイトでもしなきゃヤバいよな!!…と焦って求人情報を探してみたりするけど、こんなのらりくらり生きているアラフォーの人間が勤まるようなバイトはなかなか見つからない。
だが、こういう奴のところには周りから変わった仕事ばかり舞い込んでくる。それで何とか食いつないでるけど、もはや周りから見たら謎。職業不明。なにがメインなのか自分でも全然わからない。
アンケートで職業欄があると、一体何を選べばいいのかと困ってしまう。
よく選ぶのは
1.主婦
2.自営業
3.パートアルバイト
そして、たまにこれがあれば、これを選んでいる。
↓
4.自由業
いつも思うんだが、自由業ってなんなん?
訳して、フリーターってことかいな?
フリーターより自由業の方が確かに響きはいいけどね。
自営業と自由業は、違うわけだよね。
…と、いつも不思議に思いながら、選んでみる。
それにしても、周りの人達は立派な仕事があって、肩書きもあって、専門があって、すごく明確な存在で羨ましい。
私みたいなあやふやな人間なんて、非常に生きにくい世の中だとすごく感じる。
一言で言える仕事をしてないと、自分を説明しづらくてたまらない。
まさに迷走状態。
できることはたくさんある。だけど、「何でも出来る=何も出来ない」と同義語なのだ。
こう考えると人って明確な「一つの役割」がないと存在意義がなくなる生き物なんだなと実感する。さらに、周りからも役割を与えられたり決められたりすることで、その存在価値は確固たるものになる。
自分が社会の役に立っている状態、社会の一部を担っていると証明されるから。
でも、今の私は根無し草で、何の役にたっているのかさっぱりわからなくなっている。そんなモヤモヤな私に、ある明確なメッセージが降ってきた。
人生のコンパスを持っていないから彷徨うんだ
昨日読んだ本の中でとても印象的な言葉があったのだ。仮想ライブ空間「SHOWROOM」を創った前田裕二氏の新著『人生の勝算』。その本の中に繰り返し出てきた「人生のコンパスを持つ」という言葉。
前田氏が様々な苦難や逆境を乗り越える過程で気付いた、人生で一番大事なことの一つである。(もう一つあるのだが、ぜひ一度本書を読んで確認して欲しい。)
価値観、向かうべきベクトルを明確に持つことが「人生のコンパスを持っている」ということ。自分が自分の人生を迷わずに突き進めるかどうかは、「そのためにだったらどんなことでも乗り越えられる」という絶対にぶれないコンパスを持っているかどうかによって決まる。
絶対に何があってもぶれないコンパスが見つかるまでは、とことん自分と向き合わなければいけない、と前田氏は言うのだ。
「人生のコンパス」はモチベーションの源となって、自分を突き動かしてくれるものである。「なんのために?」がないまま動き続けることほど虚しいものはない。自分も動けなくなるし、誰もついては来ないだろう。
そうか、今の私は人生のコンパスがなくなっている状態なんだ。
つまり「志」を失っている。
人生をかけてでも追い続け、必ず実現させたいというものがなくなっているんだ。
自分の内面と必死に向き合え
ここまで読み進めてくれたあなたは、もしかしたら私と同じようにモヤモヤしていて、ひどく無気力になっていて、人生を彷徨っている方…だろうか?
(いや、全くそうではなくて「世の中にはこんな人間がいるんだー」と思いながら読んで下さってるのかも知れないが)
でも考えてみれば、モヤモヤしている時こそチャンスだ。今一度、自分ととことん向き合って、人生を通じて成し遂げてみたいものがなんなのか心の奥底まで探ってみるいい機会なんだ。
モヤモヤしてなきゃ気づけないことだっていっぱいあるはず。
「一体自分は何をやりたいんだ?」
「何に人生をかけたいんだ?」
「なんのために生きたいんだ?」
これを明確にして、そこに到達する為だけに人生に熱中出来たらどんなに楽しいだろう。
そしてさらに、「明確になった志」と「自分の仕事」がうまくリンクできたとしたら…それこそ最高に幸福な人生になるだろうな。
だんだんと世の中の働き方の価値観がシフトしてきていて、
「好きなことだけやりなさい」
「やりたいことをどんどんやりなさい」
という風潮になっている。
私は好きなことだけやっているし、やりたいことは全部やってみているが、肝心なものがすっぽり抜け落ちていたものだから、ただの迷子になってしまったんだ。
ただ、何も考えずに好きなことややりたいことをやっていても、ある時ふと、虚しくなる。
「なんのために?」
自分の人生が一体なんのためのものなのか、さっぱりわからなくなってしまう。行き着く先がないまま歩き続けるほど、虚しいものはない。
だから、自由になる前に必ず手に入れなければいけないもの、それが人生のコンパスなのだ。
最後に
完全に私事だが、先日最愛の母が亡くなって、その後2週間くらい経った時私はすっかり腑抜けのようになってしまった。もう完璧に自立していると思っていた自分だったが、母の存在が自分の生きる目標のようになっていたことに、失ってから気付いたのだ。
母に認めてもらいたい。
それが、私の人生の目的だったのかもしれない。
恥ずかしながら、母の存在という呪縛から逃れたと同時に、私はすっかり腑抜け人間となり、その時はじめて自分の存在を認めるべきなのは自分なんだと思い知らされた。親の評価、他者の評価なんてものはどうだっていいんだ。
自分が自分を、「わたし、最高!」「俺、最高!」と認められるかどうか、だ。
究極、誰一人「おめー最高だな」と言ってくれなくたって、自分最高じゃんって思えたら人生成功なんじゃないだろうか。
『朝起きて、自分のやりたいことをやれる人が成功者だ』とボブ・ディランが歌っている。
なんの迷いもなく、毎日やりたいことをやれる人になる…明確な人生のコンパスを持って。この樹海から早く抜け出して、本当の成功者を目指そうじゃないか、と心に決めた。
なんとなくまだモヤモヤが晴れない、という人はぜひ『人生の勝算』読んでみることをおススメする。